暇な時間を有効に

剣道師範  佐野 昭三


 行住坐臥 常に剣を忘れぬ心構えでありたいと、ささやかな私の修行訓の一つである。箸を持っている時はご飯をいただいている時、ペンを持っている時は何か書いている時であり、それ以外の時は必ず手があいているはずである。だからその手のあいている時は必ず竹刀を持って自分で戒めている。それがなかなか実行できない。
 私は竹刀を家のあちこちに置いている。そしてその前を通ったり座ったりしたら必ずそれを握ることにしている。
私の同僚で合宿中に先生から常に竹刀を身から離さず夜寝る時でも抱いて寝る位でなければならないと言われ真面目に抱いて寝たら、じゃまでじゃまで眠れなかったので外へ放り出したと笑い話しでなく本当の話。それ程しなくても、ただ「心常に剣を離れず」の心にあやかりたいためであり年寄りの気休めである。
 ちょっと位い竹刀を握って何になると笑う人もいるだろうが、しかしそのちょっとのひと握りが剣心を呼び、崩れかかった姿勢を正し、稽古への道をつないでくれるのである。昔から「暇な時間を有効に利用することが一番むずかしい」とよく言われているが、本当に暇な時間を有効に利用することは簡単なことのようで実にむずかしいことである。テレビを見ながら竹刀を握る、歩きながら運足の法を考える、地下鉄に乗って立稽古をやる、外から見れば何んだそんなことと言われるかも知れないが、実はその蓄積が恐ろしいのである。
 時の古今を問わず偉い人の話を聞くと皆なこの蔭を惜しんで努力した人ばかりである。柔道の嘉納治五郎先生でも剣道の高野佐三郎先生でも例外ではない。湯川博士や松下幸之助翁の近代像がある。古くは二宮尊徳が薪を背負いながら読書をして行く勤勉の姿が銅像として日本中の小学校に建てられていた。
 その他政治家でも実業家でも大成した人は皆な少しの時間を有効に積み重ねた人であり、その努力の蓄積が実に貴いのである。
古来「暇が出来たら勉強しよう」と言う人に 勉強した人もなく成功したためしがない。暇は自分が作り出すものであり分秒の時間を有効に利用して我がなす仕事の一助にしなければならない。
 それが修行であり、人生である。        

以上