「思い出」と「金」

菊地 亮介


 振り返ってみれば、私にはたくさん思い出がある。もちろんいい思い出ばかりではないつらい事、悲しい事、腹の立つ事、様々な思い出がある。しかし他人に「学生時代はどうでした?」と聞かれた時に、「楽しかった」と私はよどみなく答える。それは、きっとつらい事や悲しい事も全てひっくるめて、「楽しい」思い出に自分の中で消化されているからであろう。きっと仲間達と過ごした時間、それ自体(その内容がつらかろうと、悲しかろうと)を私は幸せに感じているのかもしれない。
 卒業して、離れていき、時間が経つにつれて、思い出というものは風化していく。十年もたてば、思い出すことも少なくなるであろう。しかし、自分の気づかないところで、きっとこれからの人生の励みになっていくはずである。この思い出は、それだけのものを刻まれたはずだ。こういうものは、人間の一番の財産だと思う。決して金では買えない。正直な話、特に社会人になって思う事は、「金さえあれば、世の中のことの9割はどうにでもできる」という事だ。人によっては愛情や友情だって金で解決できる。でも、思い出だけは、金で買えない。私も思い出を金で売ることは無い。今の世の中では非常に貴重なものではなかろうか?そして、本来ならもう一つ金で買えないものがある。それが「夢」だ。しかし、今は目先の小銭欲しさに、夢をどんどん小さくしてしまっている。確かに生活を安定させ、自立して食べていけるようにすることは大事だ。しかし、それだけが目的だとしたら、それはそんなに困難な事ではないはずだ。でも、若いうちは、もっと困難な夢に向かっていくのがいいんじゃないだろうか?最近、よく思う。
 ごく最近、仕事である人にお会いした。話をするのは三回目である。前回は5年前の参院選の選挙活動中であった。もちろん向こうは憶えていない。しかし、不思議な運命を感じる。その人は、私にこう言った。「若いうちから金なんか気にすんじゃねえ!金なんか追っかけるから夢が小さくなるんだ。金なんて必死にやってりゃあ、後から勝手についてくる。夢は後からついてこね−ぞ。ンムフフフ。」
 本当に不思議な運命を感じる。前回も私が大学に行こうか迷っていた、いわば、人生の岐路だった。今回もそう。私の人生の岐路に二度も、しかも直接お話を承ることができるとは、人の縁とは不思議なものだ。この言葉と思い出を励みに、夢を追いかけようと思う。